日本の建築

ファシリティーの老衰

ファシリティーの老衰

それにしても、惜しまれながら、なぜ建て替えられたのか。
一つは容量の問題である。解体以前に、帝国ホテルは、1954年に第一新館、
1958年には第二新館を増設していた。そして1970年の大阪万博を控え、
さらなる客室増が必要だったに違いない。
 確かに、新築された帝国ホテルは高層ビルだった。
囲の建築群もすでに高層化していた。実は、戦前からホテルの建て替えが検討されていた。
1940年に東京オリンピックが予定されていたからだ。そうなれば、多くの外国人が来日する。
帝国ホテルは、外賓を迎える国策として1890年に開業し、ライトの建物は二代目だった。
しかし、270の客室しかない。そこで1936年には、多くの外国人を収容できる、
効率性を重視したホテルの新築が計画されていた。ライト館が完成して、
わずか10年ちょっと、という時期である。
 だが、戦争が起き、東京オリンピックは幻に終わり、
ライトの帝国ホテルは生きのびる。終戦直後は接収され、
しばらく連合軍の高級将校の宿舎として使われた。戦争のおかげで存続したのである。
しかし、1952年にアメリカから返還されたとき、ホテルは常に修理が必要な状態になっており、
その費用も大きな負担だった。建物の状態を悪化させた大きな要因として、
戦後、地下鉄工事や近隣のビル工事で地下水を汲み上げたために地盤が
沈下したことが挙げられる。そして1960年代には、営業に耐えないほど老朽化し、
スタッフ同士で「いよいよ限界ね」とささやいていたという。
 


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